zebraexの遍歴

読むかどうかはともかくとして

階級を照らす光

今週のお題「家飲み」

小人閑居して不善をなす、と言うので、小人として私は文章を書いてこれ以上の不善を残すことをしばらくやめてしまったのだが、閑居(暇)も度を超すと、どうにもならなくなるもので、やる事と言えば、ワンカップを飲むか、寝るか、というところになり、そのどちらにも飽きてしまった今、文章を書いている。



というわけで階級について書いていこうと思う。

皆さんは社会におけるどの階級に所属する人間だろうか?いわゆる一般市民という奴ですなあ、と言うだろうか、それともお恥ずかしながら底辺です、と言うだろうか。しかしあくまで、そのイメージはぼんやりと、だいたいこのへん、と言う他なく、上には上がいるし、下には下がいるであろうし、といった曖昧な定義となるであろう。

または、「階級」などというものは、現代日本にはそれほどないのではないか、と思う読者もいるだろう。ソフトバンク孫社長のような桁外れの金持ちはいるし、アル中になって閉鎖病棟に隔離されている人間もいるだろうが、大体は、毎日汗水働いてストレスを溜め込んでいるサラリーマンである、と。

では、問いたい。
街を走る軽自動車とBMWLEXUSとポルシェの差は単なる嗜好の違いであろうか?自助努力によるものであろうか?また、車を持たぬ者はどうだろうか?子供を持たぬ者はどうだろうか?結婚していない者はどうだろうか?子供の切る服のブランドに、住むマンションの階層に、住む街に、飲む酒の銘柄に、何かが現れていると感じたことはないだろうか?


諸君に告げたいのは、「階級」というのは厳然として存在している、ということだ。ただ、現代日本において、それは曖昧模糊としている。そしてそれは国家の意図として、社会構造の中で、資本主義の必然として、曖昧とされている。何故ならそのほうが社会にとっても、あなたにとっても都合がいいからである。

自分の階級を知るには、そこに光を当てるしかない。
あなたが壮年の男性であれば、とても魅力的な女性を思い浮かべよう。あなたは彼女に恋い焦がれている。しかし、あなたにはライバルがいる、色々な職種のライバルである。例えば、開業医であり、学者であり、一流企業のサラリーマンである。
女性は誰を選ぶだろうか、とあなたが考えた時に、浮かびあがるもの。それが「階級」である。

いやそれは「社会的地位」というものではないか、という反論があるかもしれない。よろしい、そう呼んでもいいだろう。だが、「社会的地位」と「階級」には決定的な違いがある。
社会的地位は変化するが、「階級」は一度定まると一生変わることがない。

どうだろうか?皆さんは何かの階級に属しているだろうか?それとも一時的に、ある社会的地位に留まっているだけの可能性を持った存在であろうか?

後者だ、という者にこれ以上の議論は特に必要はないだろう。がんばってくれたまえ。
前者かもしれない、と思った者に私は以下の文章を捧げようと思う。


ここまでの勢いとは裏腹に私は、「階級」というものに何かケチをつけるものではない。例え私が19世紀のロシアの農奴に生まれていようが、貴族になろうとは思わないだろうし、自分の生まれを呪うことすれ、「階級社会」そのものを所与のものとして受け入れるであろうと思っている。

私が興味を抱いているのは、こうして厳然として、存在する「階級」に対し、現代日本が鮮烈な光を当てない、その工夫である。

例えば、私は月に何度か、調剤薬局で薬をもらう。精神の病にかかっているのである。
精神科の薬も処方するその薬局には、時々、変わったお客がやって来る。
調剤が終わるまでの間、彼はソファーに座り、ブツブツと何かを呟き続けている。耳をそばたててみると、とりとめのない激情を抑えながら、「遅い」だの「いつまで待たせるんだ」だのと言っている。
ようやく彼の名前が呼ばれ、カウンターに向かった彼の怒りは爆発する。薬剤師にむかって唾を飛ばしながら、その理不尽な、不遇な境遇と、不当な扱いに不平を唱える。
私達はある緊張感を持って、それを見ている。薬剤師は慣れた様子で、神妙な表情を作り、彼に謝罪をした。しばらく、その不毛なやり取りが続いたあと、彼は薬の袋を持って薬局を出て行く。

私は薬剤師もなかなか大変な仕事だな、と思ったが、同時に彼らが5年制の大学を出て、高給を取っているある種の「階級」に属する人間だということも思い出す。これではまるで貴族が平民にかしずくような格好に見える。

だが、この手の階級の逆転は現代社会において必要とされるものなのだ。
もし、薬剤師が居丈高に、患者を叱り、守衛を呼びつけ、薬局という貴族の職場から追い出したなら、我々は自分の階級を呪い、その上に降臨する彼らを激しく憎悪することだろう。

しかし、そうはならないようになっている。資本主義が、医療保険と行政が、そのような階級を照らす強い光を、光が作り出す黒い影を巧妙に打ち消している。


あえて言うならこのようなシステムは社会のペテンであろう。上流に存在する彼らはこうして、身を守っている。多数の憎悪や革命の可能性からだ。

そして我々がそれに抗する力はない。階級を照らす光が曖昧模糊とする限り、彼らは君臨し、またその身分を固定化し続けるからだ。そして、さらに階級は強化されていく。資本は資金を呼び、我々の家計負債が彼我の差を産んだとしても、この巧妙なやり口が通用する限りは、彼らは安泰である。

一方だからといって、私は特にそれに痛痒も怒りも感じない、ただ、うまいことなっとんなあ、と感心し、あとは、もう、そうあれかし、と唱えて、帰り道でワンカップを買っていこうと考えるのだ。