zebraexの遍歴

読むかどうかはともかくとして

叫び女の顛末

恐いイメージというのがあって、夜一人で酒を飲んでいる時に、ふとした拍子にあたりの静けさに気がついて、今この家にいるの自分だけだという当たり前のことがにわかに不安になって、頭が急に冷たく、むしろこういう時に何がいたら怖いだろう、怖いと感じるだろう、という思考が巡り、一つの妄想にたどり着く。
死角にある、暗い廊下や、浴室といったところに、なぜか女がいて、それが金切り声で叫びながら周囲の壁や家具を力任せに殴りつけている、という妄想である。

私はそれを叫び女と呼んでいる。女よりは男のほうが脅威は強いし、刃物でも振り回されたほうが命の危険を感じるように思うのだが、刃物男の想像は具体的な、実体を持った、迫力ある存在としては、私の心に働きかけてこない。
その点、叫び女は人間離れした絶叫が狭い部屋で反響する具合であったり、血まみれで壁を叩きながらのたうち回る時の破裂する音を、ありありと心の中に描くことができて、私の場合、それが実に怖いのである。

皆愛する因果話の体裁をとるならば、それは、幼少期に見た、母のイメージなのかもしれない。具体的にいつ、何が原因で、を思い出せないが、私はそういう光景や音を実際に見たり、聞いたりしているに違いないのだ。

母以外に、例えば恋人が眼の前で叫んだことも何度かあった。そういう時、私がおののいて、その場から逃げ出すかというと、そうでもなかった。
目の前で恋人が叫んでいるというのに、私に対するたまりかねた怒りが爆発しているというのに、私といえば、なんだか呆然としてしまう。表情がなくなって、頭の芯はひどく冷たくなって、何の興味もない視線を差し向けて、ただじっとその様子に見入ってしまう。こうなってしまってはどうにもならない。そういう諦めが、信じられない速さで心のあらゆるところであらゆるものを殺してまわって、私はすぐに空っぽのがらんどうになってしまうのだ。

そういう修羅場、と言えるのかどうか、ただ一方的に自分が幻滅された瞬間のひとときを思い出して、どうにかしようがあったかどうか、慎重に、というよりは、ただ鈍重に怠惰な思考のなすがまま、ひとしきり後悔と反省をしていると、最後に行き着くのは、生きなければ良い、という考えで、完全な答えがいつもそうであるように、ひどく残酷なまでにシンプルだ。

私は酒を飲んでいる。切れかけた蛍光灯の下でぶよぶよした肉塊が、鳴り止まぬ鼓動と一緒に煙を吹き出しながら酒を飲んでいる。
やがて肉の間の皺のひとつひとつに酒が流れて、肉塊が置かれた畳がじっとりと、茶色く大便の匂いを放つようになる。くぐもった絶叫が浴室から聞こえてきて、洗面器が壁に投げつけれられ、床に落ち、グルングルンと反復する音がする。それでも脳髄はすっかりアセトアルデヒドの薄曇り。叫び女とアル中肉塊。お似合いの末路に見えなくないが、ただ不安と恐い気持ちが、早くなった鼓動の一つが、命を刻む。まったくこれは、すごいスピードだ。ふいに静かになった。

おやおや、もう時間かね。